ここに、あの忌まわしき女子高生コンクリート詰め殺人事件の主犯のひとりの、初公判の記事を複数掲載し、保存します。
悪夢などはるかに超えた絶望的な現実ですが、直視しなければならないからです。
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男は17歳の時に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(88年)に関与し服役後、今年になって別の監禁事件で逮捕され、逮捕監禁致傷罪に問われた会社員、
神作譲被告(33)
の初公判が28日、東京地裁(菊池則明裁判官)で開かれた。神作被告は起訴事実を認めたが、「(起訴状で指摘された脅迫の)せりふは言っていない」と主張した。
 検察側の冒頭陳述などによると、神作被告は、女子高生殺人事件で91年7月に実刑(懲役5〜10年の不定期刑)が確定し、99年8月に出所した。今年4月、知人の男性が、好意を寄せている女性と交際しているのではないかと思い込んで、男性を脅した。
この際、女子高生殺人事件を持ち出し、「おれは少年の時に10年懲役に行った。女を監禁した」とすごんだ。さらに、同5月、東京都足立区の路上で、この男性に「女を取っただろう」といいがかりをつけ、車のトランクに押し込んで、埼玉県内のスナックで約5時間監禁し、暴行を加え、約10日間のけがをさせた。
今年5月、東京都足立区で男性が車のトランクに押し込まれて監禁され、暴行を受ける事件があり、逮捕監禁致傷罪で起訴されたコンピューター会社派遣社員の男(33)の初公判が28日、東京地裁(菊池則明裁判官)であった。


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 男は「(起訴状の中で)私が言ったとされるせりふは言っていない。(監禁はしておらず)話をしていただけだ」と述べ、起訴事実を一部否認した。

 男は、17歳だった1988年、女子高生(当時17歳)を足立区内の仲間の自宅に40日間監禁し、虐待の末に殺害、遺体をコンクリート詰めにして捨てた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で、準リーダー格だった。この事件で殺人罪などに問われ、1991年に懲役5年以上10年以下の不定期刑が確定し約8年間服役。その後、出所していた。

 検察側はこの日の冒頭陳述で、
男が被害者の男性に「おれは女を監禁して少年の時に10年懲役に行って来た」と笑いながら事件に触れ、「警察をだましたり、検事を丸めこむノウハウを学んだんだ」と話していたことを明らかにした。

 起訴状によると、男は5月19日未明、東京都足立区の路上で、男性に因縁をつけ、「人を殺したことがある」などと脅して、顔を殴るなどして、乗用車のトランクに押し込み監禁。埼玉県三郷市のスナックまで男性を連れて行き、店内でも「おれの女を取っただろう」などと脅して暴行、男性に10日間のけがを負わせた。(読売新聞)
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以上が、新たにネット上に掲載された記事です。
確認するべくもないことですが、この男に一切の反省、贖罪の情はありません。
それどころか、まるで、事件を己の誇示の手段としているのです。
笑い話にさえしています。

この男には、いまだに、一切被害者の女性に対する同情の念などはないのでしょう。
以下に掲載している「遊んでやったんだから、いいじゃねぇか」
などの発言を見れば、確認する必要がないほどに、よくわかります。

被害者の少女は、この加害者の男どもとは、面識などまったくありませんでした。
ごく普通に生まれ育ち、さまざまなことに喜び、微笑み、一生懸命になることもあったでしょう
夢もあったに決まっている。好きな人だっていたでしょう。
そして、これからも、幸せな人生を歩むはずだったのです。
この記事を読んでいる貴方の、最も愛する彼女(彼氏)と同じように。

そんな被害者の少女に襲った有様は、とても人間の言葉でなど表せない生き地獄です。
ただ、そこに居ただけで、いったい、どれだけの絶望、痛み、屈辱、孤独、
言葉にできないほどの苦しみを味合わされました。
普通の、ごく普通の少女が、なんの理由もなく、これらを味あわされたのです。
            (より事件の詳細を記しているのはこちらのHPです→葵龍雄のHP

しかし、このようなことを記載してもなお、まるで自分とはカケはなれた世界のことのように思う人
がいるでしょう。信じられませんが、酒の肴にするような外道もいるらしいです。
そういった方は、一度、鉄球で自分の頭を叩いてみればいい。
すさまじく痛いでしょう。許せないはずです。その痛みをはるかに超える痛みを、この事件の犯人どもは、ただ通りかかっただけの少女を、まるでサンドバックのように、人間扱いさえせず、競い合い、楽しむように与え続けたのです。全身をライターの火で焼き、己の快楽を満たしたのです。
それが、いったい、どれほどの痛みか。
鉄球で頭を叩いたら、どれほどの痛みでしょう。それだけで絶対にあってはならない、そして許してはならない事件だと、あらためて認識します。


さて、人権派の人間に言わせれば、私は感情論をぶちまけて、煽り行為を行っているだけのただの阿呆に見えるのでしょうが、それは違います。
私は確認したいのです。この男どもが行った行為が、絶対に許されるべきことではないことを。
絶対にあってはならないことであるということを。
それほどまでに悲惨であったということを。なぜか?

事件の犯罪行為に対する「罰」を見る限りでは、犯罪行為そのものの重さが、どうしても低く見誤られるからです。
どういうことかといえば、罪刑法定主義が定着した世界では、
罰の重さが即ち罪の重さです。
罪に対する罰を以ってしか、罪の大きさを誰にでもわかるように知らしめることはできないからです。
ゆえに、罰が原罪に対してあまりにも軽すぎる場合、それは原罪が軽いものなのだという恐ろしい錯覚を生み出し、さらなる治安の乱れを生み出す恐れがあります。
そして、罰が軽すぎる場合に、何を以って罪の重さを訴えるかといえば、もはや残されたのは、皆様の感情に訴える術しかないという現実があります。それゆえこのようなHPを私は開設しています。

そして、この事件の男、神作譲のような存在を許していることが人々の、善悪の価値観に与える悪影響は想像にかたくありません。「あれほどの事件を起こした男が、未だに笑いながら生きているのか・・・、善悪なんて世の中にはないのかなぁ・・」と。
私自身、自分が法を遵守し、「正しさ」を念頭においた生活をしているのがバカらしく思えることもありました。
悪行を犯した方が、今の世界では、どう考えても得なのだから
しかし、それは大間違いです。ゆえにこの男のような存在を許してはならないと訴え、糾弾します。
上に述べたような鬼畜以下の蛮行を行ったこの男が、今なお事件を笑いながら誇示しているという現実が如何に悲惨なものであるのかを感情論に訴えます。
これは感情論であるということを公言します。
(私は感情は論理性、合理性さえ秘めた複雑高等な人間的作用だと思っていますので)


そしてこの男は、法律のすべてをなめきっているのです。
厳罰ではなく、愛で癒し、更正させるという歌い文句の結果
結局、更正も罰も、両方がままならぬまま終わったのです。

そして、このずる賢い鬼畜に利用されるだけ利用され、舐められていると言わざるを
えないでしょう。
人権派の皆様方の考える「愛の倫理」は、それを食い物にする鬼畜が現れたとき
一切の効力を失うのではないかという疑念がよぎります。

そして、社会が厳粛かつ厳格な態度、すなわち、厳罰を下さずして舐められていては、
同様の事件の抑止はおろか、更正すらも絶対にできないといえるでしょう。

いい加減目を覚ますべきときがきたのかもしれません。
こんな鬼畜以下の所業をできる人間は、結局、鬼畜以下なのだと。
別に最初から「傷」など負っていない。楽しみながら虐殺を行った鬼畜に
愛による「癒し」の更正など最初から、あり得ないまぼろしなのだと。
私は今素直にそう感じてしまっています。
今一度、綱紀粛正のための勧善懲悪を。厳罰化を望みます。
たとえ異端意見だったとしても。



以下は、7/9更新分の記事です。上の記事以外の暴言を掲載しています。
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私は今、絶望しています。
女子高生コンクリート詰め殺人事件で、再犯をした主犯の男のひとり、神作譲吐き捨てた本心を、ここに追加記載いたします。

男は、捜査員に対して、にやにや笑いながら、自ら女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人であることを自慢げに、かつ開き直りながら話したと言います。
「以前つかまった10年の間に、検察とか弁護士に、どういう風に言えば、刑を軽くしてもらえるか知ってるぜ?」

多くの人間に絶望を抱かせるであろうこの「言葉」を、そのときに吐き捨てたと言います。
そしてまた、女子高生コンクリート詰め殺人事件被害者に対して・・・・
「遊んでやったんだから、いいじゃねぇか!」
と吐き捨てたそうです・・・。
表に出てきた暴言は、これと以下の記事のものだけです・・・が。
表にでてくるだけで、この有様です・・・。本当はいったいどれだけの、人間の言葉に表せないほどの
暴言と、被害者やその遺族をあざわらう行為をしているかわかりません。

私は今絶望を感じています。
この有様が正しいのか?と声を上げる気力さえ失いそうです。
そして、何故、この再犯の事実を大型メディアは放送しないのか?!それすらも「少年保護」の一環であるなら・・・・、ふざけるなっ!!!!
と声を上げることさえも・・・むなしくなってしまいます。

長崎幼児誘拐惨殺事件の犯人の暴言
「防犯カメラがあるの知ってたんだよね。本当に失敗した。捕まらなければ夏休みに楽しいことができたのに」
と、いう言葉と相まって、これらの事実は
この世には、本当に絵に描いたような外道悪党以下の生き物が確実に存在している
という事実を教えています。
そしてこいつらは、今もぬくぬくとあざ笑いながら、今日も生きながらえているのです。

あの、あまりにもおぞましき女子高生コンクリート詰め殺人事件。
おそらく犯罪至上、もっとも「残虐」な・・・いや、人間の言葉では表せないほどにむごたらしい事件。
その犯人が、このようにあざ笑いながら生きている現実に、絶望を覚えています。
まるで、虫けらを殺しただけのような態度。
誰でもいい。
この鬼畜に、本来あるべき制裁を下すことによって、その罰の重みを示してくれ
そのようにさえ感じています。


以下が(7/9)以前から掲載している数少ない新聞記事です。
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コンクリ詰め殺人有罪の男 監禁、傷害で逮捕

 昭和六十三年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で逮捕された少年四人のうちの一人が、知り合いの男性を監禁して殴るけるの暴行を加えたとして、警視庁竹の塚署に逮捕監禁致傷の疑いで逮捕されていたことが三日、分かった。
 逮捕されたのは埼玉県八潮市、コンピューター会社アルバイト、
神作譲容疑者(三三)。調べによると、神作容疑者は五月十九日午前二時ごろ、東京都足立区花畑の路上で、知り合いの男性(二七)に因縁をつけ、顔や足に殴るけるなどの暴行を加えたうえ、金属バットで脅迫。車のトランクに押し込み、約四十分車を走らせた後、埼玉県三郷市内のスナックで「おれの女を知っているだろう。どこへやった」などとして約四時間監禁し、殴るけるの暴行を加え、男性に全治十日のけがを負わせた疑い。容疑を認めており、調べに対し「ちょっとやりすぎた」と話している。
 神作容疑者は先月四日、竹の塚署に逮捕され、東京地検は同月二十五日、逮捕監禁致傷罪で起訴した。
 女子高生コンクリート詰め殺人事件では、平成三年の東京高裁控訴審判決で主犯格の少年に懲役二十年などが言い渡され、四人の実刑が確定した。
神作容疑者はサブリーダー格として犯行に加わり、懲役五−十年の不定期刑が確定、服役した後、出所していた。
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 ≪女子高生コンクリート詰め殺人≫ 昭和63年11月25日、少年4人が、埼玉県立高3年の女子生徒=当時(17)=を連れ去り、東京都足立区の少年の自宅2階に監禁。ライターでやけどを負わせるなどのリンチや暴行を繰り返し、翌年1月4日に殺害。遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにし遺棄した。(産経新聞)
[7月4日3時6分更新]


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この件に関しましては、長崎の事件とは直接関係はありません・・・。
しかし、少年事件の末路が、想像しうる限り被害者にとって最悪の状態となっているのだと
いうことに、管理人は言い表せないような思いがあまって、この記事を掲載するにいたりました。

女子高生コンクリート詰め殺人事件。この名前をタイピングするだけで、鳥肌が立ちます。
まさに鬼畜の所業といわざる得ない、人間の言葉では表せない鬼畜業の的にされ、人間らしい死さえ与えられず、冷たいコンクリートの中に、ゴミのように捨てられたのは、この鬼畜たち(あえて言います)の前を、ただ通りかかっただけの、少女だったのです。
新聞記事では、実に優しく、「人間の言葉」で書かれていますが。
事件の詳細については、こちらのサイトが分かりやすく、良いと思います
「葵龍雄のHP」(実名公開HPです。念のため断っておきます)

少女の痛み、孤独、恐怖、屈辱、悔しさ、絶望、苦しみ、その全てを想像したなら、もはや気が狂いそうになります。
管理人は、本当に・・・言葉にもできない思いがこみ上げてきます。

しかし、事件の犯人どもは、例によって少年法によって保護され、そして「更正」教育とやらを受けるためだけに服役し、温過ぎる「罰」を受け、出所してきたのです・・。

罰ではなく、教育によって、更正させるのだ。という考えのもとに。

「ちょっとやりすぎた」
いったい、あれだけの苦痛と死と呼べないような悲惨な死と、語ることもできないような屈辱を、見ず知らずの少女に与え、そして「反省した」男が、どこをどうやれば、こんな言葉がでてくるのでしょうか?

被害者の遺族の、感情を押し殺した、精一杯の言葉
「一生かけてでも、罪を償ってください」

この男は、いや、この事件の犯人たちはすべて、この言葉や、被害者の苦痛を、今でも笑いものにしているのでしょう。
この記事をみればわかります。
少年法によって守られ、何一つ不自由なく暮らし、今なお被害者を辱め続けているのです。

この事件、あの朝日テレビのコメンテーターですら、
「これほど酷い事件は、いままでにもこれからもないだろう。そして、事実なかった」

と言わしめています・・・。

そして、皆さんは不思議に思いませんか・・?
一番酷い事件の犯人が、何故?もっとも重い刑である、死刑にならないのか?と。
・・・罪刑法定主義の穴がいくつも考えられるところですが、
少なくとも確定しているのは、既存の甘すぎる罰が招いた現状は、あまりにも不条理で、
たえがたく、許せないということです。

あれほどの、事件を起こした男が、まるで、さも大したことをしていないように振る舞い、
せせら笑いながら生きている有様で、いったい何故まじめにいきている人間が報われるのでしょう?

事件の被害者の少女は!多くの善良な市民は!ただ、自己満足のためだけにエリを正して生きてきたのですか?
正しく生きることの価値はその程度のものですか?
また、この男の罪は、こんなにも軽いものなのでしょうか?
罰によってしか、罪は表せないというのに!

今の現状は、被害者にとって何なのでしょうか?
善も悪もいらないというのでしょうか?
私は、この国の法律と、その法律を作る者たちの意識の甘さに、もはや絶望さえ抱いています。
私だけでなく、多くの人々が、法律への畏敬の念を失っているでしょう。
それこそが、まさに、国家の基盤を揺るがしてゆくでしょう。

少なくとも私は、今誰かが、この鬼畜に罪に相応の罰を下すことによって、その罪の重さを証明してほしい。制裁を下して欲しい!!という思いを禁じえません。
法治国家において、あってはならないはずの考えです。しかし、私は自分を偽ることができないでいます。


以前どこかの大型新聞の社説にもありましたが、このような思いを、民衆の多くが抱くような法制は、異常だ。と強く感じます。

そして、また、凶悪事件の犯人ほど、たとえ少年であったとしても、再犯の率が他より圧倒的に高いというひとつの事実の確認もできたと思います。

見るものが見れば、くだらない感情論かもしれません。(感情ほど高度なものはないと私は思いますが)この記事に関する文章は、私の個人的感情であり、他の記事での意見とは異質のものであることを確認します。長々と失礼しました。

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