
筆舌に尽くしがたい苦痛を味合わされ、
そしてこれからも、愛しい息子のアルバムを見る度に、
あまりにも酷すぎる惨状と血を連想しなければならない遺族・・・・
その苦しみは、もはや察するに余りがありすぎます。
この苦痛を緩和するための、現実的な手段として、厳罰化が存在するならば、
それを一考するときは、もはや来ていると思います。
すくなくとも、人権派が言うように、「野蛮だから無視」していいような苦痛だは断じてありません。
私ならば、発狂しかねない苦痛です・・・・。
「野蛮」を言うなら、遺族の心情を理解してみようともせず、ことさら卑下し、無視するだけの理論の方が
余程「野蛮」だと僕は思います。
そして、法律論外の理想として、僕は事件の主役は常に被害者側であるべきだと
思っています。これは法律論ではなく、僕の常識論です。間違っているとは微塵も思いません。
法律の土台に乗っていない以上、それがいけないことだと言われるいわれもまた、ありません。
〜ご遺族が発表なさった手記と関連記事全記録〜
→2003年7月「ご遺族が事件発生約一週間後、発表された手記」
→2003年9月「事件から約二ヶ月後、犯人の家裁送致まじかに発表された手記」
→2003年9月25日「家庭裁判所へのご遺族の意見陳述所全文」
→2003年10月6日「犯人に処分が下った後、発表なさった手記全文」
2004年7月1日「事件から一年後に両親が発表された手記」(最新手記)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ご覧になったでしょうか?
わずか4歳9ヶ月の可愛いさかりの息子を、
想像もし難いような残虐な殺され方をした遺族の悲痛な手記です。
幼い子の可愛らしさをご存知ならば、
その子に、こんな残虐な事件を当てはめて考えるなど、
誰もしたくはないでしょう。
しかし、ご遺族は、これから一生、その苦しみと共に生きていかなければならないのです。
だが!
当の加害者には、この遺族の手記さえシャットアウトされていないのです。
「追い詰めてはいけない」教育的配慮などという名目で。
(落ち着き払い、漫画を読んでいる相手にですよ?)
その結果、犯人は、いまだに「罪に相応」などとは思えない態度で
「反省」している気になっているのでしょう。
(詳しくは「事件経過」の犯人の暴言をご覧ください。)
自分の罪が、どれほど遺族を悲しませ、苦しめているか?
それがわからずに何故、罪を償うことなどできますか?
それとも、名目上、刑事責任がない人間は、
「償う」必要すらないというのですか?
甘やかされた結果、
情状酌量の余地なき卑劣すぎる犯行に及んだ犯人に対して、
また、ただひたすらに甘やかす・・・・・。
異常だと思えてなりません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さらに、以下に関連記事を掲載します。
→2003月11月「何も信じられなかった」
→2003年10月1日「地元新聞の加害者の親の謝罪インテビュー」